初めに

朝鮮通信使の記録について矛盾や疑問のまとめ一覧

九州国立博物館の重要文化財について

九州国立博物館に限らず、国立博物館で展示やサイトで確認できる重要文化財などで、真偽も確認せず登録しているものがあるのでは?と疑問に感じる古典籍等を多くみるので、その自分が感じた謎などを記事にしています。

琉球慶賀使や謝恩使と思われる古典籍が朝鮮通信使として利用できる疑問について

1643年第5回朝鮮通信使(寛永20年 崇徳8年 仁祖14年)

日光東照宮には本当に朝鮮通信使が赴いたのか?江戸時代ではなく室町時代の話では?また、朝鮮鐘ではなく琉球謝恩使や慶賀使がもたらした鐘では?といくつか古典籍を比較して疑問に思ったので記事にしました。

1655年第9回朝鮮通信使(明暦元年 順治12年 孝宗6年)

数多く、江戸時代の朝鮮通信使が扁額を残したことになっているようですが、数十年に一回しかこないような人よりお寺などにゆかりのある日本の人物が扁額を残しただけではないのか?など扁額の保存状況を写真だけではあるが見て、おかしいなと思ったことを記事にした。

1719年第9回朝鮮通信使(享保4年 康熙58年 粛宗45年)

編集中 李氏朝鮮正使 洪致中(ホン チジュン)が誤りを指摘したとされる白頭山国境問題(境界線)のエピソードについて

1748年第10回朝鮮通信使(延淳5年 寛延元年 乾隆13年 英祖24年)

江戸時代の朝鮮通信使とされる人物が広島県やほかの地域で墨書を残している。しかし、書かれた文字を見ると同じ人が書いた書体や文字なのか?という謎をみつけたので疑問を記事にした

1764年第11回朝鮮通信使(宝暦14年 明和元年 乾隆29年 英祖40年)

1811年第12回朝鮮通信使(文化8年 嘉慶16年 純祖11年)

いつの朝鮮通信使か不明なので要調査

朝鮮通信使の登場人物について

編集中 朝鮮通信使に参加したとされる人物の実在性を人物録と比較 野乗、国朝人物録 京都大学附属図書館

アイキャッチ画像の出典の詳細情報と加工について

出典:〈清道〉朝鮮人大行列記(大全 延享五辰年新板ゑ入) (京都大学附属図書館所蔵)

刊記「延享五年戊辰正月吉日 京寺町松原上ル町 菊屋七郎兵衛板」

京都大学貴重資料デジタルアーカイブ(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/)

二次利用方法

アイキャッチ画像は上記を基に利用し、加工を行っておりません。

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