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宝暦14年(明和元年)徳川家治(いえはる)の将軍就任祝賀の朝鮮通信使を宗義暢が江戸までおくったとされる正使、副使、従事官は一体誰だったのか?

宝暦14年(明和元年)徳川家治(いえはる)の将軍就任祝賀の朝鮮通信使を宗義暢が江戸までおくったとされる正使、副使、従事官は一体誰だったのか? 正使 副使 従事官 徐命膺 厳璘 李得培 鄭尚淳 李仁培 洪楽仁 趙曮 金相翊歴史
出典:通航一覧. 1-2
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wikipediaの江戸期朝鮮通信使履歴より

第11回 1764年(宝暦14年) 英祖40年 徳川家治 趙曮 朝鮮通信使 家治襲封祝賀

朝鮮通信使 wikipediaの江戸期朝鮮通信使履歴より

東京大学史料編纂所データベースの「通航一覧」より

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明和元年甲申年二月廿七日 宗對馬守義暢 朝鮮の信使 徐命膺 下のページに正使 通政大夫吏曹参議知製? とある。 嚴璘 副使大夫弘文館典翰知製? 李得培 従事通訓大夫弘文館校理知製?

北海道大学の北方資料データベースによると、通航一覧は江戸幕府の命により編纂された対外関係資料集日本の外交資料集)と記載されている。

しかし、対馬朝鮮通信使応接史料から見た幕藩制国家(2017年3月 北九州市立大学大学院社会システム研究科 博士(学術)学位請求論文 辛文姫)によると、江戸には来ておらず、朝鮮人来朝行列記 喜多川歌麿 画(国立国会図書館デジタルコレクション)やwikipediaの江戸期朝鮮通信使履歴に記載の人物が代わりに登城することになる?

同年の通信使は当初、宝暦12年(英祖38年)(1762)に正使徐命膺、副使厳璘、従事官李得培が任命されたものの翌年七月に正使鄭尚淳、副使李仁培、従事官洪楽仁に交代し、さらに正使が趙曮に、従事官が金相翊に交代している

対馬朝鮮通信使応接史料から見た幕藩制国家(2017年3月 北九州市立大学大学院社会システム研究科 博士(学術)学位請求論文 辛文姫)

朝鮮人来朝行列記 喜多川歌麿 画(国立国会図書館デジタルコレクション) 文化8年(1811)

朝鮮人来朝行列記 - 国立国会図書館デジタルコレクション

朝鮮人来聘略年号附には明和元年甲申年来聘 正使 鄭尚淳 副使 李仁培 従事官 洪楽仁と記載されている。対馬朝鮮通信使応接史料から見た幕藩制国家(2017年3月 北九州市立大学大学院社会システム研究科 博士(学術)学位請求論文 辛文姫)の内容に従うと、文化8年の出版だと、正使が趙曮に、従事官が金相翊になっているはずだが、なぜ修正されていないのだろうか?

朝鮮通信使 (京都市情報館の京都市歴史資料館 情報提供システム)

文化史17 朝鮮通信使

朝鮮通信使一覧(『国史大辞典』により作成)と記載がある箇所に、wikipediaの江戸期朝鮮通信使履歴と同じように正使 趙曮となっている。

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出典:通航一覧. 1-2

著者 林韑, 宮崎成身 等編 出版者 泰山社 出版年月日 昭15

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