アイヌ語とされるシェペを鮭と訳している事についての疑問
シェペ(鮭のこと)は、北海道日高地方、平取町の沙流川を遡上したのか?
二風谷ダム裁判で気になったアイヌ語のシェペ(鮭のこと)
沙流川に遡上するシェペ(鮭のこと)は、アイヌ民族の食文化の中で最も重要なものであり、アイヌ民族は自然との共生を考えた捕獲方式
札幌地方裁判所 平成5年(行ウ)9号 判決
少し別の話だが、先住民族の定義について、
そもそも「先住民族」の概念自体統一されたものはなく(証人相内)、これを定義づけることの相当性について疑問がないわけではないが
札幌地方裁判所 平成5年(行ウ)9号 判決
中略
本訴において必要な限度で定義づけることとする
とあるので、例えばこの裁判を証拠として、日本政府の政策判断に「先住民族」の定義について利用されているなんらかのものがあるとしたら、それはおかしくないか?という疑問を抱いてしまう。
上原熊次郎の蝦夷方言藻汐草、坤巻(1804年)にある鮭、鱒の方言の訳について
蝦夷方言藻汐草の坤巻より
8コマ
鱒 シヤケンベ
ヘモイ
イチヤニ
チヤロクン子
9コマ
鮭 シベ
シベ(シェペ?)は「しょっぱい」の可能性は?
上原熊次郎について松前藩の生まれとされ、子孫が居るらしい記事もあるようだが、蝦夷方言の日本語(共通語)訳についてと金田一京助関連で疑問のある人物
鮭と鱒(サケとマス)について
日本では、「鮭は海で獲れる大きなもの、鱒は淡水で獲れる小さなもの」が大雑把な分け方
中略
もともと東北で獲れる鮭はシロザケだけで、日本で鮭と呼ばれて川に遡上するのはこの種類
鮭、鱒、サーモン、トラウトの違い 魚食普及推進センター
このサイトの説明がわかりやすかったが、これを正しい認識と判断できないので、鮭・鱒(サケ、マス)の違いについて歴史・地域の詳しい情報を知りたい。論文等あるのだろうか。
上原熊次郎が松前藩生まれとされ、鮭と鱒の知識がどれほどのものであったかはわからないが、二風谷ダム裁判での「沙流川に遡上するシェペ(鮭のこと)」はアイヌ語通詞としては、鱒の訳のいずれかになってるはずではないのだろうか? 淡水に住んでいると遡上しているは明確に区別がついていたという話なんだろうか。
かつては、淡水にいるなら鱒、海水に住むものを鮭と区別したり、サイズで大きいものが鮭、小さめは鱒と分けたりしていた時代もありましたが、遺伝学が進歩し、そういった分類ではまとめきれないことがわかり、日本ではその区別は専門家の間でもまだ研究段階にあるそうです
鮭と鱒との違いは?
とりあえず石狩川上流のサケの歴史 3コマだと赤丸のどれも鮭ではなく鱒と呼んでたのではと単純に思ってしまうが、北海道ではちゃんと認識ができていたんだろうか。アイヌとされる人たちがでなく、シェペ(鮭)と訳した人達についてです。
鱒をシヤケンベ、鮭をシェペ(シベ)?についての方言は
東北地方、津軽南部などの人達の可能性は?
日本列島3人類集団の遺伝的近縁性について
北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から尾本らが1980年代に提供を受けた血液から抽出したDNAサンプル
日本列島3人類集団の遺伝的近縁性
なぜ北海道の全域でDNAサンプル調べないんだろうか。
最近、北海道の歴史を古典籍で調べていて気になったのは、源義経でよく聞くチンギスハーンとかの流布は、本州の人達の蝦夷、北海道に居た痕跡を消すためのなのかなと少し思ったり。まぁこれは〇〇〇〇教の方面かもですが。
他にも平取町は調べている疑問でよく聞くところなので、別の記事で取り上げたい。