メディア

志村けんのバカ殿様で、面白い白塗りメイクの化粧姿の腰元として放送されていたのだろうか!?

美術研究という雑誌の図版解説に室町時代当時の白塗りメイクの化粧法についてを見つけた「妙然尼像と妙然像、奇妙な二人の男女?の肖像画に出会った話の疑問を検証する」の記事を作成後、さらに調査したところ、美術研究という雑誌に妙然尼像の肖像画を基に室...
重要文化財

ねね木造坐像(高台院座像)と豊臣秀吉坐像の謎を検証する。重要文化財の霊廟「霊屋(おたまや)」にある座像。

なぜ皆さんは、ねね坐像(高台院)とされる木像を見て、ねねだと思ったのか?霊屋(重要文化財)秀吉とねねを祀った建物で、ねねが埋葬された場所です。須弥壇や厨子に壮麗な蒔絵が施されていますが、これは「高台寺蒔絵」と呼ばれ、桃山時代の漆工芸の粋を集...
メディア

保科正之を「NHK大河ドラマに。」の前に朝日新聞の記事などの肖像画の笏の持ち方に誰も疑問に思わないの?

朝日新聞の記事の保科正之の肖像画を見て、誰も疑問に思わないものなの?笏の持ち方を知らずとも、博物館や美術館で保科正之の肖像画が展示されていたとして、恐らく歴史に興味がある人が見たりすると思うが、誰も何も感じないのだろうか?徳川3代将軍家光の...
備忘録

北山殿行幸記に関連した検証ブログ記事作成のための備忘録

北山殿行幸記の疑問について検証するためのメモ書き群書類従. 第貳輯を出典とする塙保己一 編、経済雑誌社出版の262コマ目から北山殿行幸記/514フォントの種類は舊本行書躰と記載されている群書類従(新校. 第二巻 著者 内外書籍株式会社 出版...
備忘録

大阪毎日新聞と、群書類従を出版した経済雑誌社や内外書籍株式会社とどのような関係だったのかについての覚書

群書類従の歴史的仮名遣いについて気になった疊の書き方・読み方国立国会図書館デジタルコレクションのサイトで、「群書類従. 第貳輯 塙保己一 編 経済雑誌社 1898-1902 2版」という叢書を読むことができるが、漢字の読みの表記で気になる箇...
備忘録

聚楽行幸記に関連した検証ブログ記事作成のための備忘録

聚楽行幸記の開催日数についての疑問を検証するためのメモ書き私の古典のレベルだと、「三日間は短くて心残りが多かった。せめて五日間は必要」みたいに読めるところがあるが、5日間開催されたことになっている。また、三日目十六日、四日め十七日、五日め十...
備忘録

有馬記念館企画展「藩主の肖像」に関連した検証ブログ記事作成のための備忘録

『久留米市史 第八巻 資料編近世Ⅰ』を出典とするWikipediaで掲載されている有馬頼永の肖像(篠山神社所蔵)の矛盾について検証するためのメモ書き有馬記念館(Arima memorial museum 公益財団法人有馬記念館保存会 〒83...
国宝

「風病の男」(国宝・病草紙の題材)が捏造・改ざんされたものだという勘違いに対して調べてみた

京都国立博物館にある平安後期・鎌倉初期される風病の男(国宝・病草紙)の元ネタは江戸時代の落語ではないのか?アイキャッチの画像は、京都国立博物館にある国宝・病草紙の写本(京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)と思われる絵巻物の「風病の男」と「歯...
メディア

黒田官兵衛(黒田如水 / 黒田孝高)の肖像画が明治時代以降に捏造・改ざん・作成されたものか検証する。

黒田孝高の官位が従三位になったのは官報を読むと明治時代になってからである。明治35年(1902年)11月13日、従三位を追贈された。^『官報』第5812号「叙任及辞令」1902年11月17日黒田孝高 wikipediawikipediaで黒...
国宝

「眼病の男」(国宝・病草紙の題材)が改竄されたものだという自身の勘違いに対して論破を試みた結果

眼病の男(国宝・病草紙)の現代語訳と絵巻物の絵の違いに違和感を感じた針をた(立)てつ、いま(今)はよくなりなむとていで(出)ゝい(去)ぬ、そのゝち(後)はいよいよ見えざりけりつひにかため(片目)はつぶれはて(果)にけり眼病の治療 医療法人社...