朝日新聞の記事の保科正之の肖像画を見て、誰も疑問に思わないものなの?
笏の持ち方を知らずとも、博物館や美術館で保科正之の肖像画が展示されていたとして、恐らく歴史に興味がある人が見たりすると思うが、誰も何も感じないのだろうか?

長野)光る先見性「保科大河」熱望 署名60万人超:朝日新聞デジタル
徳川3代将軍家光の異母弟で、現在の伊那市高遠町にあった高遠藩の藩主を務めた保科正之を、NHK大河ドラマにしてもらう運動が地道に続いている。16年前に高遠から発した運動は、正之の転封先である山形や福島…
徳川3代将軍家光の異母弟で、現在の伊那市高遠町にあった高遠藩の藩主を務めた保科正之を、NHK大河ドラマにしてもらう運動が地道に続いている。16年前に高遠から発した運動は、正之の転封先である山形や福島にも波及。NHKに向けた署名はすでに60万を超えた
長野)光る先見性「保科大河」熱望 署名60万人超 2019年12月23日 朝日新聞デジタルより
長野県の伊那市役所のホームページに「名君・保科正之 公」というページで同じ肖像画が掲載されている。
保科正之の肖像画についての疑問点
- 笏の持ち方が今まで見たこともないが、作法なのか?
- →2021/6/22 作法の手順の中で笏頸を持つ場合があるのは、把握。だが肖像画の静止画として、そのタイミングを描くのは普通?
- 肖像画で何パターンか持ち方が違うのも把握している。
- 江戸幕府の御用絵師(狩野探幽)、笏の持ち方の作法など知らずに適当に描いたとかありえるのか?
- 誰かが模写したときに、原本ではないと証明するために、わざと描いたのだろうか?
保科正之の位階で畳の縁の模様が大紋高麗縁はありえるのか?
1864年(元治元年)3月4日、下記のような宣命により、従三位の贈位(子孫松平容保が参議任官を固辞し、代わりに先祖正之に従三位贈位を朝廷に願い許される)
保科正之 wikipedia
保科正之の死後約200年立っても、宣命が与えられたように官位がまだまだ機能している時代に、畳の縁の模様によって位を決めていたことだけ、緩くなっていたとかあるのだろうか?
そうなら、室町時代後半(戦国時代、安土桃山時代)、江戸時代などで、そういった文献があるはずと思うが、現状私は認識できていないので、調査したい。
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出典:会津読本 保科正之公
会津読本 著者 会津聯合教育会 編 出版者 会津聯合教育会 出版年月日 昭和17 インターネット公開(保護期間満了)
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