1748年の朝鮮通信使、正使とされる洪啓禧の息子洪景海が残したとされる紙本墨書「対潮楼」(福山市・福禅寺所蔵)と岸和田藩に送られた詩文を比較した
文化遺産オンラインで福禅寺対潮楼朝鮮通信使関係史料と朝鮮諸人筆語詩巻として登録されていたので、比較したところ
どちらも朝鮮通信使の洪景海とあるので同一人物が書いたもの(または写し?)だと思いますが、朝鮮の朝の月の横棒の書き方が逆、孟秋(もうしゅう 秋の初めの一か月。初秋。陰暦七月。)だと思うのですが、秋の禾(のぎ、のぎへん)と火が逆のように見えます。
朝鮮諸人筆語詩巻には記載の無い字で福禅寺対潮楼朝鮮通信使関係史料の対潮楼の潮の月の字も、朝鮮諸人筆語詩巻の朝鮮の朝の月とは違うように見えます。
中国新聞『日韓の友好 瀬戸内に足跡 朝鮮通信使「世界の記憶」』の記事によると
洪景海(キョンヘ)が力強い大書を残した。この書を基に作成した木額は対潮楼に残る
紙本墨書「対潮楼」(福山市・福禅寺所蔵)
中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター 日韓の友好 瀬戸内に足跡 朝鮮通信使「世界の記憶」 の記事より
岸和田市、生涯学習部郷土文化課の郷土文化室保管の歴史・美術資料のご紹介ページによると
延享5(1748)年と宝暦14(1764)年の朝鮮通信使来日にあたり、岸和田藩が大坂での通信使接待役を命じられた際
朝鮮諸人筆語詩巻〈ちょうせんしょじんひつごしかん〉 3巻 江戸中期
岸和田市、生涯学習部郷土文化課の郷土文化室保管
通信使から贈られた詩文などを3巻に仕立てている。岸和田藩士であった安井家に伝わった資料である
朝鮮諸人筆語詩巻〈ちょうせんしょじんひつごしかん〉 3巻 江戸中期
岸和田市、生涯学習部郷土文化課の郷土文化室保管
篆字部首検索システムで調べてみた
朝の月の中の棒部分について漢篆千字文、偏類六書通ともに掲載のものは左に寄せる方が多い。右パターンはひとつだけ似ているのが漢篆千字文の左ページ2行目最後に。他にも文字の種類があるのか人によって書くのに違いがあるのか。
潮については、月を省く文字が多く、また種類が少なく、似たようなものを見つけられなかった。
福禅寺「対潮楼」と 岸和田藩に送られた詩文 の 「秋」と「秌」について
レファレンス共同データベースの回答は、特定の書籍(古典籍でない)を引用して、調査種別を事実としたりするので、あまり信用していないのですが(国立国会図書館とあるので税金で運用されているような気もしますが)、
偏と旁が左右入れ替わっても、発音や意味が同じ漢字を「動用字」という
「秋」と「秌」はどちらも「あき」と読む。このように漢字の偏と旁(つくり)が入れ替わっても同じ読み方をする漢字を何と呼ぶのか?また、このように左右や上下が入れ替わった漢字がたくさん載っている資料はないか?
秋 篆字部首検索システムでも確認できた。金石韻譜など。
福禅寺「対潮楼」と 岸和田藩に送られた詩文についても、どちらも秋のようですが、同じ人物がわざわざ書く文書によって書き方変わったりするものなんでしょうか。そういう風に書いてくれと日本人に言われたから?癖のほうが色濃くでるのでは?と思ってしまいます。
広島県にある福禅寺「対潮楼」(紙本墨書)についての疑問を調査するため行ってみたい場所
広島県福山市にある福禅寺
岸和田市立郷土資料館
広島県にある福禅寺「対潮楼」(紙本墨書)についての疑問を検証する上で、読んでみたい論文や古典籍、書籍の資料
広島県にある福禅寺「対潮楼」(紙本墨書)についての疑問を検証する際に読んだ記事に登場する人物、企業、機関など
中国新聞(ヒロシマ平和メディアセンター)
国連教育科学文化機関(ユネスコ)
衣川圭、今井裕希、堀晋也(中国新聞の該当記事担当者?)
山口市・県立山口博物館
朝鮮通信使ユネスコ記憶遺産日本学術委員会 仲尾宏委員長
駐広島韓国総領事館 徐張恩(ソ・ジャンウン)総領事
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出典:漢篆千字文 3巻
漢篆千字文 3巻 著者 源孟彪孺皮 原輯[他] 出版者 鳥飼市左衞門 [ほか8名] 出版年月日 寛政8 [1796]
「国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されているデジタル化資料のうち、個々の画像の書誌情報の公開範囲の記載が「インターネット公開(保護期間満了)」となっているもの
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