押杵帯九郎という名前について
文章の2段落目に「押杵帯九郎」『九』と表記されているが、押杵氏への木杯授与を報じた雑誌『教育報知』の記事(第461号、1895年2月)の記事画像を見ると、【押杵帯五郎】『五』と記載されているように読める。
どちらかが誤字だと思うが、本物の名前はどちらだろうか?
押杵氏への木杯授与を報じた雑誌『教育報知』の記事についての「当時のアイヌに対する偏見に満ちた言葉や言い回しが多く見られるについて」
「誰れ一人文字を顧みるものなき」について
読み間違えてるかもだが、押杵帯五郎というアイノ?の方が、古い習わし(舊慣、習慣や風習)が文字として残っているのに他の全員が文字を読もうとしないのが嘆かわしいと、学校立てるのに奔走したことに対して、内地の教育家に発破かけてるにしか読めないが、本当に偏見に満ちた言葉や言い回しなんだろうか。
誰も口承をやめないという意味だとしても、押杵帯九郎氏がアイノなのであれば、「誰れ一人文字を顧みるものなき」を慨し(嘆かわしい)と思っているのは、押杵帯九郎氏が係っているように見えるが、それも書いている側の押し付けという意味?
それとも文章全体が支配している側の書き方だからけしからんという意味?
押杵帯九郎氏についての記事(雑誌『教育報知』)についての備忘録
国立国会図書館デジタルコレクション
国立国会図書館デジタルコレクションでも該当のものと思われるリンクを見つけたが、調べている関連の重要そうな古典籍に限ってネットから確認することができない。(著作権の確認って100年以上たってたらとかで、自動的に許可にならないんだろうか?)
タイトルのアイノは後から書き換えではない?
文章の始まりがアイノ土人でなく土人。
2行目の土人一般の「一」のドットが綺麗に見える
アイノ=アイヌ?