アイヌの衣装の前掛け(マンタリ)は女性が身に着けるものではないのか?
函館市/函館市地域史料アーカイブの函館市中央図書館所蔵地域史料で安政度南部藩御持場東蝦夷地風物図絵についての疑問を記事にしました。
本作において印象的な場面は、アイヌと和人との生活の関わりを描いた場面である。石場斎宮(箱館奉行支配調役)の下女とアイヌの人々が餅つきを行うところがあり、番人とされる三味線を弾く男は、アイヌの衣装を着ているが、髷を結い、口髭を落として襟を右に合わせている
安政度南部藩御持場東蝦夷地風物図絵 解題・説明 函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市中央図書館所蔵地域史料
風景が3か所続いた後の絵を見ると、アイノ、番人と書かれた男性が前掛けをしているように見えます。
しかし、
アイヌ生活文化再現マニュアルの装身具のマンタリ(前掛け)53ページ(50コマ目)を確認すると”マンタリは前掛けのことで、女性が身につけていたものです。”
平取町立二風谷アイヌ文化博物館で確認すると”アイヌの婦人たちは晴れ着のときをのぞいて、ふだんはいつも前掛けをしていました“
国立民族学博物館のマンタリ<前掛け>(アイヌ文化にであう2—樹皮からつくる着物)で確認すると、”女性が労働する時につけます“
と3か所ほどアイヌの文化について記載のあるサイトなどを読みましたが、男性の記述はなく女性が身に着けるものとあるように思います。
安政度南部藩御持場東蝦夷地風物図絵との整合性の設定ミスなのか、長沢盛至という作成者もしくはその模写を行った人物の勘違いなのか、もともとアイヌについての資料ではない巻物の絵を書き換えたからなのかという疑問を感じました。
それとも普通に男性も前掛け(マンタリ)を身に着けていたのでしょうか。
最初見た時は、前掛けをする商人かなとイメージしたのですが、”三味線を弾く男は、アイヌの衣装を着ている”、”アイヌに対する同化政策による和人化を意味しているのかもしれない”と説明を書いた人の推測も含まれていますがアイヌの衣装のようです。
安政度南部藩御持場東蝦夷地風物図絵の解題・説明にあるアイヌの衣装を着て髷を結い三味線を弾く男は番人なのか?
三味線を持った人物の左上に「番人」らしき文字が書かれています。
しかし、拡大して確認すると「番」の異体字にもない漢字に見えます。
長沢盛至について詳しい情報がネットで見れなかったので、有珠山の噴火プロセスに対するアイヌの人々の認識(迷信と科学的思考)という遠藤匡俊氏の学術論文?で確認すると盛岡藩士とあります。
岩手県の人物が北海道の函館の人物に「土人」と記載しても不思議ではないようです。
その土地で生まれ育った人。土着の人。土地の人。
ど‐じん【土人】 weblio辞書
個人的には「土人」と書かれていたのでは?という疑問を感じましたが、書き間違えて修正を試みようとしただけなのでしょうか。それとも番の異体字?
絵図の中盤あたりで再度「番人」の文字がでてきますが、こちらは「番」と記載されているように見えます。(番人とアイヌのメノコ、アンコロという人物が御相伴で料理や酒が描かれている?)
安政度南部藩御持場東蝦夷地風物図絵についての一名(別名)や旧名について
函館市中央図書館デジタル資料館でも安政度南部藩御持場東蝦夷地風物図絵が確認できるようですが、こちらの内容説明では以下のように別名や旧名があるようです。
一名:安政度宇須絵鞆風物図 旧名:臼の焼山同沼之図
安政度南部藩御持場東蝦夷地風物図絵 館市中央図書館デジタル資料館
どちらの名称でグーグル検索してもHakodate City Central Library Digital Archives(函館市中央図書館デジタル資料館の事)のサイトしか出てこなかったので、一名、旧名の名前の由来や詳細の情報が知りたいですね。
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出典:蝦夷島奇観
タイトル 蝦夷島奇観 著者 秦檍丸 出版者 氏家厚時写 出版年月日 万延1 [1860]
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