アイノの文言について
ジョン・バチェラ―のThe Ainu of Japan 1892よりも古い出典でとりあえず、日本語史研究資料(国立国語研究所蔵)で確認できる上原熊次郎の蝦夷方言藻汐草にある蝦夷、アイノ。
年代は”1804(文化元)年”
ユーガリ、浄瑠璃の事として途中まで訳している文を見ると
90ウの最後から2行目、アイノとある。その後ろの文字と合わせてなのか、蝦夷者とある。
91ウの最後から3行目 アイヌツ°ミとある。訳がないのでわからないが、アイヌでわかれるのか、後ろまで合わせて何らかの単語のなのか。
前後の言葉のつながりで蝦夷方言藻汐草の著者である上原熊次郎がそう聞き取っただけなんだろうか。
2022/4/30追記 miwo(みを)のAIくずし字認識アプリだと、「メ」となる。「アイメツ°ミ」? 「ミ」と「三」もわからんな・・
「メ」(U+30E1) 日本古典籍くずし字データセット
「ヌ」(U+30CC) 日本古典籍くずし字データセット
2022/4/30追記
蝦夷方言藻汐草では影法師をアイノクリとしているが、〈資料紹介〉加賀家文書「[蝦夷語和解]」―蝦夷通辞・加賀伝蔵による『藻汐草』の語釈本―では
ヤイノクリ yaynukur, -i/ yaynokur, -i【名】影法師∥自分影〔自分の影〕*yay「自分」 no「の(日本語)?」kur, -i「影」※要検討; 《参考》yaynukur「体具合の悪い人」(T) というのがあるが不明。造語である可能 性も高い:yay「自分の」(N), kur, -i「影」 (N)。∥人倫(120 オ 09)
〈資料紹介〉加賀家文書「[蝦夷語和解]」―蝦夷通辞・加賀伝蔵による『藻汐草』の語釈本―
ジョン・バチェラ―のThe Ainu of Japan 1892について
The Ainu of Japan 1892 16ページ目の要点
ジョン・バチェラ―がアイヌと書くのは、混血などを意味するアイノという言葉は避けるべきだから。(アイヌの意味も書籍には後述されている。)
アイノとアイヌの違いをジョン・バチェラ―はThe AINU OF JAPAN 1892で記載している
The word Aino means ‘mongrel’ or ‘half-breed,’ and has reference to a degrading Japanese tradition, which describes the descent of the Ainu from a human being and a dog.
16ページ 日本語翻訳はdeepl
アイノという言葉は、「雑種」や「混血」を意味し、アイヌが人間と犬から生まれたとする日本の下品な伝統に関連している。
But the name this race of people themselves use is Ainu, which means ‘man’ or ‘men.’
しかし、この民族自身が使っている名前はアイヌ語で、「男」または「男性」という意味である。
16ページ 日本語翻訳はdeepl
外国人であるジョン・バチェラ―が「あいのこ」について知っているか(日本人から間接的に伝わったとあるので”あいのこ”自体は知らない可能性が高い?)、この書籍自体は日本の知識を知っていないと記載できるはずのない文章だと思うのですが、アイノ、ainoは日本人によるアイヌ,ainuの聞き間違いなのでしょうか?
それともアイノ、ainoは海外の言葉、例えば英語などで混血を意味する言葉なのか?
またジョン・バチェラ―は人間と犬から生まれたとするを比喩として理解していないのではという文章の書き方をしています。
女神犬の子を孕めりそれより子孫いや栄て今にいたる故に女は女神の血縁にして男は犬の後胤なりといふよしをサルモンヘツの首長ヤイハルなるものの話なり
蝦夷島之奇観 : 変り図入り / [秦檍丸] [撰] 1,2コマあたり
アイヌをアイノと聞き間違えたではコシャマイン(胡奢魔犬、他にもある)という当て字にはならないのではと思うが、シャクシャイン(沙牟奢允)はコシャマインと同じような当て字がない?のは疑問(wikiに記載ないだけ?)。
松前の古称とされる万堂宇満伊犬の文字を見た時、人の名前かと思いましたが、一応島という形ででてきたり、犬がついてない古典籍(33コマ 右ページ 2,3行目あたり)もあるようです。
この犬という当て字や神話の表現は擦文文化の仄めかしなのか、侵略者を犬畜生として表現したのかもしれないし、というと犬畜生の語源は?となってややこしくなりそうな気もしますが。例えば狄のくずし字を犾と模写し間違えたとかも。
神話は作り話と考えるのが自然なんでしょうが、アイノ(合いの子?)との言葉の関係上、見過ごしていいものなのかと思ってしまいます。
ただこういうのはどこが初出か遡る必要があるかなと思いますが。
ラングスドルフの世界周航記のアイノ、アイヌについて
vol.1 195コマ PDF少し重いかもしれない。
全頁読んでなく、アイノ、アイヌについて注釈を読むと
Aino, or Ainu, signifies, in the language of all the people who belong to the Kurilian tribes, Man and is the name they give themselves.
ラングスドルフ 世界周航記
アイノ、またはアイヌは、クリル部族に属するすべての人々の言葉で、「人」を意味し、彼らが自分たちにつける名前である。
地域によって発音が違うくらいの認識で、ジョン・バチェラ―のように日本人に確認や日本の資料を読んではいない可能性が高い?
and those at Jesso and Tschoka Aino
ラングスドルフ 世界周航記
蝦夷と思うが、Tschokaがよくわからなかった。
and the whole coast of what is falsely called Chinese Tartary below the Amur, to the place where the Ussuri-Uka falls into the sea.
ラングスドルフ 世界周航記
こちらも注釈のアイノとアイヌの説明で出てくるが、falselyとか含めてよく意味が理解できない。
最上徳内の渡島筆記について
ネット上では原文(写本)等を探せなかったが、現代語訳にしたものを一部アップされているのをみると、アイノについて”あいの”に関連する言葉をいくつか取り上げていたので、ジョンバチェラ―と同様にアイヌとは違う言葉と認識しているように感じる。ページの一部分だけしか見てないので、原文(写本)なり現代語訳なりを手に入れて読んでみたい。
というか、上記のリンクの北海道大学、北方資料データベースで他の資料と同様ネットで見れない理由はなんだろうか?
国立国会図書館デジタルコレクションも重要そうな調べたい古典籍とかに限って簡単に見れない・・
金田一京助のアイノ、アイヌの認識について
金田一京介の書籍を読んでいないので、いずれかの書籍に記載があるのかもしれないが、ネット上で一部画像をアップされている説明箇所をみると、金田一京助自身が言語学者、またジョン・バチェラ―と面識がありそうなのに、アイノについての認識がすり合わせできていないのか?
ジョン・バチェラ―のアイノの説(The Ainu of Japan 1892)はおかしいみたいなのがあってもよさそうなのだが。
”あいのこ”について理解しているがゆえに避けたというのもあるかもしれない?
でもそれだと言語学者としては違うような気もする。
松前藩が豊臣秀吉や徳川家康に朱印状や黒印状をもらった意味は?
飛騨屋久兵衛後見人の所左衛門が、松前遊歴の折に松前藩庫から借写したもので、「北門叢書」の底本となった写本。
北海随筆 / 坂倉源次郎
百姓ハ松前産ノ者又津軽南部ノ者モ半アリ
北海随筆 / 坂倉源次郎 7コマ 左ページ
略
百姓ト称スル者ハ皆国人也
松前藩庫から借写とあるので、松前藩の総意と思いたいが、わざわざ百姓は国民、住人だと書かなければいけない理由はなんだろうか?
右ページに「他国ヨリ邪曲ノモノ入込騒動」等書かれていて、藩同士でさえ方言含めもめ事がありそうなのに、さもありなんという事だったんではないだろうか
松前ト蝦夷ハ一国ニシテ松前領ト云所
北海随筆 / 坂倉源次郎 6コマ 右ページ
略
関所アリテ是ヨリ外ハ蝦夷地トス
豊臣秀吉や徳川家康に朱印状や黒印状をもって、和人地(初出典は?)と蝦夷地が分けられたと主張する人達を見かけますが松前藩が豊臣秀吉や徳川家康に朱印状、黒印状を願ったのは、アイノ(アイヌ含む?)への偏見でもめ事が多かったのが理由ではないのか?
松前藩にある古典籍で「百姓ト称スル者ハ皆国人也」というのが初出典はいつなのかまた松前藩城下町等でこれについて御触れがなかったのかなど調べたい。
2022/4/29 今回引用した北海随筆は草稿とある。
東蝦夷夜話(大内余菴)でのアイノについて
其嬰児をアイノと呼假ししをもつて今の世までも蝦夷人をアイノといふはこれに起源すとぞこは素より疑?はしき説にしてとるに足らず
東蝦夷夜話(大内余菴)の3巻34コマ
嬰児(緑児) みどりご goo辞書
蝦夷島奇観などでも似たようなのを見たが、”アイノ”と呼ぶ理由の説として記載している?大内余菴はこの説を疑わしきと何を根拠してるのかわからないので、色々な古典籍をもっと読めるようになりたい。
現状の個人的な考えなど
2022/4/29時点
日本人がアイヌという言葉を聞き間違い等、また、日本人が本州から北上した結果での揶揄については十分に考えられる。
だが、
例えば擦文文化と東北の人たちとの交流によって
アイノと呼ぶ呼ばれるような人達。例えば渡党のような存在が生まれたからではないのか?もしくは何かが北海道に南下してきたために。
唐子、日ノ本等も日本語の方言で通じなかったのか、まったく違う言葉だったのかなど
という検証もしたい。
“合いの子“の語源はどこまで遡れるのか知りたい。
(The Ainu of Japan 1892 の同じページにAinoについては”It is a term they anciently used to express their contempt for them, and has by degrees come into common use.”とあるのだけど、ネットでちょっと調べた程度では、他の文献で日本語で説明が確認できるのはでてこなかったので。deeplで翻訳を確認する場合は、この文章だけと、ページ全体で訳す場合で意味が少し変わるので注意)
北海道や東北の出来事が初出なら、朝鮮半島や中国からの避難?侵略?交流?で帰化してきた人達との交流はどうなるの?と思うが。
私の漢文、くずし字等を読むレベルだとつまみ読みしかできず、たまに書かれている「この文は誤り也」みたいなのは取りこぼすかもしれません。
江戸時代の朝鮮通信使の疑問を調べていて、日本にある古典籍についてそもそも改ざんされてないかを元に調べているので学術研究者なる人達の言葉や書籍はあまり信用していません。
明清史書の朝鮮記事に対する朝鮮の是正外交というのを見てからは、韓国併合の経緯や朝鮮総督府、関東大震災等で古典籍がどうなったかが歴史の疑問で増え、最近はアイヌ関連の古典籍等も気になりだした。
アイキャッチ画像の出典の詳細情報と加工について
出典:蝦夷島奇観
タイトル 蝦夷島奇観 著者 秦檍丸 出版者 氏家厚時写 出版年月日 万延1 [1860]
「国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されているデジタル化資料のうち、個々の画像の書誌情報の公開範囲の記載が「インターネット公開(保護期間満了)」となっているもの
アイキャッチ画像は上記を利用し、以下の変更を行っています。
アイキャッチ用に画像サイズを縮小して利用。
20220503 東蝦夷夜話(大内余菴)について追記